2008年11月07日

いざ決戦の地へ!

 明日トルクメニスタンに入ります。テンション下がってますが無理やりでも上げないといけません。なんせこれから行くトルクメニスタンは「中央アジアの北朝鮮」と呼ばれるくらいですから。色んな意味で金正日以上にやりたい放題だったニヤゾフ終身大統領は2年前に死にましたが、基本的には何も変わってないし、新大統領(元歯医者)の個人崇拝体制も始まっているという話。ちなみに、ニヤゾフ終身大統領の遺業について知りたい方はこの辺を参照。素晴らしいでしょ?

 しかも、5日間のトランジットビザしかないので一気に駆け抜けなければいけません。その気になれば1日で横断することも可能ですが、さっかくだから観光もしたい。さらに、カスピ海を渡るフェリーに乗ってアゼルバイジャンに渡るつもりなんですが、そのフェリーがまた強敵。積み荷次第なのでいつ出るのか誰にも分からない上に、貨物優先なので一隻あたりの乗客数は極端に少ないらしい。5日間しかないのにそんな悠長に待ってはいられない。さてはてどうなるいことやら。

 言論統制が厳しいトルクメニスタンではネットカフェもほとんどないらしく、もしかすると現地からの報告は無理かもしれませんが、もし無事に通過できたらアゼルバイジャンのバクーあたりから生存報告ができると思います。ということで突撃してきます。

2008年11月06日

テンション低下中@ブハラ

 サマルカンドと並ぶ観光地ブハラに来ています。なんかもう何もかもが面倒くさくなってやる気がでないんですが、Ajax IMEで書いている上に回線が遅いのでその話はまた後日にでも。とりあえずウズベキスタンはもういい。

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 ブハラの旧市街。青いドームが特徴的。

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 ブハラの象徴カラーン・モスクとカラーン・ミナレット。

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 木彫りの柱が見事なバラ・ハウズ・モスク。

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 10世紀に建てられたイスマーイール・サーマーニー廟。ブハラ最古の建築物。装飾はレンガの模様だけだが、タイルにはない美しさがある。

2008年11月04日

パスポートは大事

 まだタシュケントにいます。今日の午後5時にトルクメニスタン大使館でビザがもらえるはずなので、そのまま夜行列車に乗って国境近くのブラハという街に向かう予定です。しかし、列車のチケットはまだ買ってません。ウズベキスタンでは列車のチケットを買うのにパスポートが必要なんですが、私のパスポートはトルクメニスタン大使館が持っているので。5時にビザをもらって、そのまま駅に行って8時発の列車のチケットを買うつもりですが、果たして席が残っているかどうか・・・。

 ちなみに、パスポートがないと地下鉄にも乗れないし、バザールもウロウロできません。タシュケントのメトロやバザールでは警官によるパスポートチェックが頻繁にあるからです。ウズベキスタンの警官は腐りきっているので、「大使館にビザを申請しているからパスポートがない」と言ってパスポートのコピーを見せても多分無駄です。ここぞとばかりに賄賂を要求してくるでしょう。昨日もアゼルバイジャンとトルクメニスタン大使館の警備の警官にさかんに「コカ・コーラ」(賄賂のことらしい)をねだられました。

 そうそう、デジカメも買いました。メモリーカードを買い直さなくても済むようにするにはオリンパスしか選択肢がなく、かつ一番安いやつということでFE-330という機種に。値段は200ドル(ウズベク・ソムだと分厚い札束になるので高額商品はドル払い)。価格.comで調べたところ、日本では型落ちして一部の店では12000円ぐらいで売られているみたいですが、普通の店ではまだ20000円ぐらいだし、今年の2月に出たばかりの機種みたいなので妥当な値段でしょう。あくまでもサブ用なので、性能的にもこれで十分です。

 つーことで、これからトルクメニスタン大使館に行ってきます。このネットカフェの前から地下鉄に乗れば2駅で着くのに、地下鉄に乗れないのでトラムを乗り継いで行くしかありません。あ〜めんどくせぇ。

2008年11月02日

サマルカンド・ブルー

 17時間バスに乗ってタシュケントに戻ってきました。心配していた腹の調子も正露丸で何とか抑えられました。バスで前の席に座っていたおばちゃんに苗字を聞かれたので「タカハシ」と答えたら、「タケシ・キタノと同じね。あの映画監督の」と言われ、それからはずっと「タケシ!」と呼ばれ続けました。休憩のために立ち寄ったレストランで大声で「タケシ!こっちに来て一緒に食べなさい」と言われた時はちょっと恥ずかしかったですが。

 つか、どうしてあんな田舎のおばちゃんが北野武を知っていたのか不思議ですが、テレビで特集なんかがあったんでしょうかね。ちなみに、昨日はサッカーU-19(?)の日本対イエメン戦をテレビでやってました。誰が見るのか不思議ですが、こっちではサッカーは人気ありますし、2つしかないチャンネルの1つでやっていたので見ていた人は多かったことでしょう。

 ということで、いまさらですがサマルカンドの写真を。

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 かの有名なレギスタン広場。3つのマドラサ(神学校)が向かい合って並んでいる光景は壮観。

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 サマルカンド・ブルーのドーム。独特の青が見事です。

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 ティムールの姪の霊廟内部。どこまでが修復なのかわかりませんが、細かなタイル装飾が美しかったです。個人的にはドームの青よりもこういう内装の方に惹かれました。

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 サマルカンド近郊のウルグットという町のバザール。シャシュリック(いわゆるケバブ)は食べ飽きたと思っていても、こうして匂いをかぐとまた食べたくなるんですよね。ちなみに、このバザールにはスザニという刺繍入りの壁掛けを買いに行ったのですが、スザニ売りのおばちゃんたちの迫力に負けて3枚も買ってしまった・・・。

2008年10月31日

ヒウ゛ァ

 そんなわけでウズベキスタン北西部のヒウ゛ァという街に来ています。サマルカンドからバスで17時間かけて来ましたが(途中バスが故障して2時間ストップ)、とりあえず一通り見たのでバスに乗ってタシュケントに戻ります。19時間の旅です。昨日食べたソーセージが当たったみたいで腹痛いです。正露丸で抑えきれるか微妙ですが、ここにいてもやることないのでバスに乗る予定。入場料はぼってくるし、交通機関も食堂もぼってくるし、食べ物はどこ行っても選択肢が少ないし、ウズベキスタンはホントに疲れる 。

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 ヒウ゛ァの旧市街。モスクやら宮殿やらが林立していて街全体が世界遺産。

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 夕方の風景。昼間は観光客でいっぱいだが、夕方になると一気に人通りが減り、夜はだれも歩いていない。

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 ヒウ゛ァの旧市街を練り歩く新郎新婦。この辺の国では結婚式の後(前?)に親族友人を引き連れて名所巡りをして、写真やビデオを撮るのが習慣みたい。昨日は平日なのにこーいうグループを何組も見かけた。

 前回書いたようにウズベキスタンにはATMがほとんどない。その理由はこれ。

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 最高紙幣が日本円で80円ぐらいなので、$100ドル(1万円)を両替したらこうなる。135枚の札束。ATMがあっても中の金があっという間になくなるのでATMはほとんど設置されていないというわけ。

2008年10月27日

青の都サマルカンド

 いやぁ日経平均が恐ろしいことになっているようですね。日本に帰った時の資金にと思って10数万円分の株を処分せずに残してきたのですが、怖くて株価がチェックできません。日本に帰る頃には多少は回復していることを祈ってますが・・・。

 とりあえず、ドルも下がっているのでタジキスタンのATMで300ドルほど引き出しておきました。できればドル以上に下落しているユーロをがっぽり引き出したいんですけど、たぶんトルコまで行かないとユーロを出せるATMはないだろうなぁ・・・。ちなみに、ここウズベキスタンにATMは皆無。

 というわけでサマルカンドに来ています。中央アジア横断のハイライトとして期待していたサマルカンドですが、う〜ん期待していたわりにはちょっと・・・というのが正直な感想。たしかにサマルカンド・ブルーと称される真っ青なドームは美しいんだけど、どの建物も修復されすぎていてきれいすぎなんですよね。観光客は多いし、どこの店でもセコくぼってくるし。

 つか、また風邪を引いちゃいました。あらためて自分のひ弱さに呆れています。こっちは日によって寒かったり暑かったりして、うまく調節ができないんですよね。昨日なんか昼間は25℃ぐらいあってTシャツで大丈夫だったのに、今日は昼間でも10℃以下でめっちゃ寒いんですもん。環境の変化に適応するのが苦手な私にはきついです。

 おまけに一昨日コンパクトデジカメを落として壊してしまいました。2年前にパキスタンで買って以来、レンズカバーが壊れても何とか我慢して使ってきたのですが、レンズが出てこなくなってもう無理です。今回の旅には初めて買ったデジタル一眼レフも持ってきているので別に写真が撮れなくなるわけじゃないんですけど、食堂や宿の中でスナップショット感覚で撮りたい時はコンパクトデジカメの方が便利なんですよね。タシュケントで新しいのを買おうかなぁ・・・。でも金は使いたくないしなぁ・・・。

[28日追記]
 今日の昼間の気温は3℃。寒すぎ。サマルカンドの写真をアップしたいけど、このネットカフェのPCにはUSBコネクタがありません・・・。

2008年10月23日

世界で一番腐ったヤツら

 タジキスタンのフジャンドからウズベキスタンの首都タシュケントにやって来ました。タシュケントは特に見所のない大都会だし宿も高いのですが、トルクメニスタンとアゼルバイジャンのビザを取るために来てます。

 中央アジアを旅する旅人が避けては通れないのがタシュケントのトルクメニスタン大使館。旅人の間では悪名高く、おそらくこの地球上で最低最悪の大使館。日本を出たときからここがこの旅で最大の難関になることは覚悟していたのですが、私の予想を遥かに越えた強敵でした。

 まずこの大使館の受付時間は午前11時から13時のわずか2時間。当日大使館に行って受付リストに名前を書いてもらい、その順番に一人ずつ中に入れる。しかし、係員が一人で対応する上に、電話が鳴りまくって係員はその対応に追われるので業務はめっちゃ遅い。よって、一日に中に入れるのは10数人。ただ、リストを管理している入口の警官(ウズベク人)にワイロを払えばすぐに入れる。そんな仕組み。

 とりあえずこのリストの前の方に名前を載せないことには始まらないので、ビザを申請する人は早朝に大使館に行ってリストに記入してもらう。そこで昨日、私は朝6時20分に大使館に行った。それでも10番目。何でだ?

 でも、とりあえず名前は書いてもらった。10番なら大丈夫だろうと思って11時の受け付け開始の少し前に大使館へ。すでに20人ぐらいが待っていた。11時10分ぐらいから業務開始。リストの順に名前を呼ばれるのかと思ったら、警官はリストなど持っておらず、後から来た人たちが警官に何かを話してすぐに中に入っていく。私たちは外で待たされたまま。そして、先に中に入った人の約半数は出てきた後に門のそばの警官の詰め所の中に入っていく。その中ではおそらく金のやり取りが行われているのだろう。
 
 それでも10番ならさすがに入れるだろうと余裕をこいていたが、12時を過ぎても警官はリストを見て名前を呼ぶことすらしない。12時30分、さすがにヤバイと思い、「俺は10番だ。さっさと入れてくれ」と警官にアピール。外で待っているウズベク人たちに確認すると彼らはみな10番台で、次は私の番だと警官に言ってくれた。

 それが功を奏したのか12時45分ぐらいにやっと中へ入れた。少し待ってから窓口で申請用紙を2枚受け取って横のテーブルで記入し始める。1枚目を書き終わったところで、突然係員が窓口を閉めて帰り支度を始めた。時計を見ると12時55分。中にはまだ私の他にも2人いた。あり得ない。「おい、あと5分あるじゃねぇか。あと5分で書き終わるからちょっと待ってくれ」と言っても、係員は無視。警官は「終わりだ」と行って私たちを追い出した。係員は13時ちょうどに高そうな車に乗ってご帰宅。書きかけの申請用紙を持って外に出ると、まだ外には10人以上の人が待っていた・・・。

 そんなわけで初日は見事に玉砕。手ごわいとは聞いていたけど、まさかこういう展開になるとは思ってもなかった。でも、彼らのやり方に従うしかないし、ワイロを払うのは倫理的に嫌なので、今日また再チャレンジしてきた。今日は昨日よりも早く起きて、朝5時30分に大使館へ。詰め所で仮眠していた警官を起こして名前を記入してもらう。でも、何故かまた10番目。もうワケわからん。

 そして、11時にまた大使館へ。昨日とは違う警官たち。でも、見るからに悪そうなヤツら。受付も11時20分ぐらいにならないと始まらず。この様子だと今日も昨日と同じ展開になるのかなぁと思ったが、どうやら昨日の警官コンビが腐っていただけで、今日の警官はまともだった。昨日のように後から来てさっさと中に入っていくヤツらは時々いたが、今日の警官はちゃんとリストを片手に持っていて、ゆっくりではあるが順番に名前を呼んでいった。

 そして、12時20分頃にやっと私の名前が呼ばれて中へ(10人目までに1時間かかったわけだが)。昨日のうちに申請用紙は書いておいたので、それを窓口で渡すと10日後に受け取りに来いと言われて終わり。その間わずか10秒。たったこれだけのために私は2日を費やしたわけだ。ちなみに、受け取りの時も今日と同じように早朝に来て名前を記入してもらって・・・というプロセスを繰り返さないといけない。あ〜、ホントめんどくせぇ。
 
 でもまぁとりあえずトルクメニスタンのビザは申請はできたので一安心(指定された日に受取に行くと「申請書を失くしたからまた書け」と言われることがあるらしいが)。ということで、明日はアゼルバイジャン大使館。こっちはそんなに難しくないという話なのでたぶん大丈夫でしょう。トルクメみたいに10日も待たされないし。できれば30日の観光ビザが欲しいけど、もしかしたら3日間のトランジットしかもらえないかもしれませんが。それが取れたらトルクメビザを待っている間にウズベキスタン国内を回ってくる予定。

2008年10月21日

17時間ハイエースの旅

 私だってねハイエースなんかに17時間も乗りたくなかったんですよ。ちゃんとね、最初はトヨタのランドクルーザーに座っていて、満員になって発車するのを待っていたんですよ。ホーローグからドゥシャンベへは3200mの峠を越える上に道がめっちゃ悪いと聞いていたので。それが先客がいたとかで出発直前にランドクルーザーを降ろされて、同じトヨタはトヨタでも20年ぐらい前のハイエースに乗るはめになったわけです。日本の中古車なのに何故か左ハンドルなハイエースに。私は助手席に座っていたんですけど、なぜか足元の真ん中に硬い物があるわけですよ。そう、かつてハンドルが付いていた跡です。アフガンなんかでは右ハンドルの日本車を強制的に左ハンドルに改造するプロがいるとは聞いていたけど、まさかこんなとこでお目にかかるとはね。ハンドルを思いっきり右に切るとガリガリ音がしてました。富山県高岡市の車庫証明が貼ってありましたけど、前の持ち主はかつての愛車がこんな姿になっているとは思ってもいないでしょうね。

 そんなハイエースでデコボコの道を行くわけですよ。車がボロい上に、ドライバーがまたえらく丁寧に運転するオヤジでしてね。当然後から来たジープにどんどん追い抜かれいくわけですよ。タジキスタンって国はどこまで行っても山ばかりで、道路もロクに舗装されていないので平均時速は30kmぐらい。それでもかなりゆれる ので眠れない。ハブラボト峠ってとこの頂上付近には地雷注意の看板がたくさんあったりして、そーいやこの国は内戦やってたんだよなぁとか思いながら車窓をながめているともう夜に。

 真っ暗になるとオヤジの運転はさらに慎重に。平均時速は25km。もう後ろから来る車すらなくなりました。このままじゃ着くのは朝になるな。まぁそれならそれでいいかな。と思い始めた午前1時すぎ。ドゥシャンベまであと80kmぐらいというところで突然道がきれいな舗装道路になり、後は一気にドゥシャンベ到着。朝9時半に出発して、午前2時半到着。500kmぐらいを行くのに17時間かかりましたよ。こんな時間に着いてどうするんだ、と思ったらそのまま車内でみんな寝始めたので私も仕方なく寝ました。そんなわけで朝になってからホテルに向かいましたとさ。「カラコルムハイウェイ17時間マイクロバスの旅」と「クエッタ行き灼熱列車の旅」に次ぐ史上三番目につらい乗り物でした。

 さて、ドゥシャンベですが、着いた時は久しぶりに都会に来たと興奮しましたが、よく見るとやっぱりしょぼかったです。その中で一際輝いていたのがこの2つの店。

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 ファーストフード「BIG MAC」。けっこう繁盛してました。

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 「Southern Fried Chicken」。略してSFC。「BIG MAC」の方はメニューをチェックしなかったのですが、こっちはメニューもほとんどパクリでした。ちなみに、ドゥシャンベには本物のマックもKFCもありません。

 さて、実はすでにドゥシャンベは出ていて、今は北部のウゼベキスタン近くのフジャンドという街にいます。今日はドゥシャンベから3300mの峠を2つ越えてきました。今日こそはジープに乗るぞ!と意気込んでいったのに、何故か気がついたらロシア製のボルガの後部座席に座っていた私・・・。もちろんジープもあったのに、「客は揃っているからすぐに出発できる」と言う男について行ってしまって・・・(乗り合いタクシーなので満員にならないと出発しない)。これはまた前回の再現かとかなりビビったのですが、こっちの方が距離は短いし、道は中国政府の援助で整備が進んでおり、峠越えの部分以外はきれいに舗装されていたのでボルガでも楽勝でした。それでも300kmかそこらを行くのに9時間かかりましたが、あの17時間の後では全然苦にはなりません。

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 3300mのシャフリストーン峠。頂上付近には雪があった。

2008年10月16日

ワハーン渓谷

 最近思うんですよ。どうしてムハンマド(アッラーともいう)は「人を騙すと絶対に天国には行けないぞ」と言い残してくれなかったのかと。ラマダン中のセックスについて語っているヒマがあれば(※)、それくらいできたでしょうにね。それだけでどれほど世の中は良くなったことか。

 (※)「ラマダン期間中に妻とセックスしてもよろしいのでしょうか?」と訊いてきた信者に対して、ムハンマド(の口を通じてアッラー)は「好きなだけ交わるが良い」とお答えになった、とコーランには書かれている。

 そんなわけで辺境の地ワハーン渓谷から帰還しました。渓谷の一番奥のランガルというところまでバスで行って、周辺の城塞跡や聖廟を訪ねながらマルシュルートカ(乗り合いワゴン)や徒歩で戻ってきたのですが、いやぁなかなか良い所でした。パンジ川沿いの渓谷に村が点在し、川の向こうは雪をかぶったヒンドゥクシュ山脈がそびえるアフガニスタンという美しい土地。そしてフレンドリーな人々。タジキスタンに来て以来9日間シャワーを浴びてなかったのですが(これまでの7日間を超える新記録)、途中のヤムチュンというところで温泉に入れたし。

 容赦なくぼってきて、高いと抗議したら「嫌なら乗るな」と言放つマルシュルートカのドライバーさえいなければ、そこはもう天国でした。ヒッチハイクしようにも1時間に1台車が通るかどうかというところなので、ぼられていると分かっていても乗るしかないんですよね。英語の話せる地元民いわく「この辺の人は外国人は金を持っているからぼっても構わないと考えている」らしいが、コーランには「旅人には施しを与えなさい」とも書かれているんですけどね・・・。ちなみに、この辺の人たちはイスラム教シーア派の一派であるイスマイール派というのを信仰しています。

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 ワハーン渓谷の入口のイシュコーシムという村で写真を撮ってくれとせがんできた女の子たち。この辺の子供はすぐに金をせがんできてムカついたが、この子たちは写真を撮ってもらっただけで満足して去っていった。

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 毎週土曜日にイシュコーシム郊外の国境のど真ん中の河原で開かれるアフガンバザール。アフガンからいろいろなものが持ち込まれ、それをタジク人が買うという方式らしい。パキスタン経由で持ち込まれた中古の日本車も売買されることがあるとか。

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 家の前を通りかかったら写真を撮ってくれと言ってきた家族。撮ってあげたら後で送ってくれと言われたのですが、宛先を書いてもらった紙には氏名とランガルという村の名前だけ。これで届くのか?つか、そもそもこんな辺境の地に郵便制度なんてあるのか?

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 ちびっこ4人組。右端の女の子はかわいかったなぁ。

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 近くを通りかかった私を強引に昼食に招待してくれた一家。5人の兄弟のうち4人はロシアに出稼ぎに行っているという典型的なパミールの家族。ちなみに、左から二番目のお母さんの妹(姉かも?)は旅行人ノート『シルクロード』の裏表紙に載っているアフガンバザールの写真の左端に写っている女の人らしい。旅行人を見せたらビックリしてた。

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 砂嵐舞うワハーン渓谷。右側はアフガニスタン。

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 車が通らない時はこんな道をひたすら歩いた。遠くに見えるのはアフガニスタンのヒンドゥクシュ山脈。手前の標識は手書き。手書きの標識はタジキスタンやキルギスでよく見かける。

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 ワハーン渓谷のある村で泊めてもらった部屋。こっちの家は日本のように入り口で靴を脱いで上がり布団で眠る。

2008年10月10日

両足負傷

 標高3600mのムルガーブで酒をたっぷり飲んで丘を上ったら一気に酔いが回ってフラフラになったわけですが、それで何度もコケて左足の太ももを打撲。まだかなり痛いです。んで、昨日は夜中に屋外にあるトイレに行こうとしたら、暗闇で足を踏み外して右足を捻挫。両足が痛くて歩くのが辛いです。

 これから向かうワハーン渓谷には公共交通機関はないに等しいので、ヒッチと徒歩で回ろうと思っているのにこんな状態で大丈夫だろうか・・・。体調もまだイマイチなのに・・・。

 とりあえず、昨日アップできなかった写真を。

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 標高3500m以上の高地をひた走るパミール・ハイウェイ。

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 わずかに生えている草を食べるロバ。山の向こうは中国。

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 電気もガスも水道(井戸はある)もない標高3800m(?)のカラコルに住む子供たち。枯れ草や乾燥させた牛のフンを燃料にしていました。ソ連時代は電気も来ていて石炭も手に入ったそうですが、ソ連が崩壊してそれらが一切なくなったらしい。

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 カラコル湖とその背後に見えるレーニン峰。

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 標高3600mのムルガーブの村。ここは一応電気は来ていた。

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 川沿いの谷間に広がるホーローグの町。2100mなので緑豊かで暖かい。

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 ホーローグのバザールでテーブルを並べて手作りのプロフやラグマン、マントゥなどを売っているおばちゃんたち。なかなか美味しいので毎食ここで食べています。

2008年10月09日

パミール・ハイウェイ走破

 久しぶりに下界に降りてきました。といってもまだ標高2100mぐらいですが。ネットはおろか電気すらない山岳地帯にいる間に阪神がヤバイことになっていてビックリしております。

 そんなわけで、キルギスのオシュからタジキスタンに入り、ムルガーブを経由してホーローグという町までやってきました。キルギスからタジキスタンに入ってすぐのカラコルという村では夜中に地震で起こされましたし(カラコルからそう遠くないキルギスと中国との国境地帯が震源で死者多数の模様)、標高3600mのムルガーブでは出会ったスイス人と一緒にワインとウォッカをしこたま飲んで、宿に登る坂を登ったらフラフラになって何度も転んだり、オシュからムルガーブまで一緒に来たデンマーク人の中年カップルとジープのチャーターのことでモメてケンカ別れしたり、夜中にホーローグに着いて町外れにある宿を探すのに1時間かかりましたが、まぁそれなりに楽しくやってます。

 さて、ここから数kmいけばもうそこはアフガニスタン。が、アフガンには入らずに、国境沿いのワハーン渓谷というエリアをしばらくウロウロしてから首都のドゥシャンベに向かう予定。んじゃまた。