2008年01月24日

中国旅游記 最終話:日本海関是最大的敵

 さて、長々と書いてきたが、実は今回の中国滞在はわずか4泊5日というハードスケジュールだった。まぁこれも船が青島に「接岸できなかった」せいなんだが。泊まった所は以下の通り。

1泊目:泰山登山
2泊目:亳州の安賓館(ホテル)。シャワーなし。
3泊目:素真の家。シャワーなし。
4泊目:夜行寝台バス。シャワーなし。

 そんなわけで、私は5日間一度もシャワーを浴びなかった。しかし、5日間というのは私の最高記録ではない。私の最高記録はモスクワ〜北京のシベリア鉄道ボストーク号に乗っていた6泊7日間。あれに比べたら5日ぐらいたいしたことない。

 が、さすがにこのまま日本に帰るのはちょっと気が引けるので、新鑑真号に乗ってすぐにシャワーを浴びた。ゆうとぴあ号には風呂があったが新鑑真号はシャワーのみ。

 帰りの船はほとんど揺れず、2日後の朝に無事神戸港に到着。今回の旅は短期間だったし、シャワーを浴びて服も着替えてさっぱりとした格好にしたので、税関(中国語では海関)はノーチェックだろうと自信満々だった。

 しかし、私の番が来た瞬間に係員が「ちょっと待って下さい」と言って一歩下がると、後ろの方をチラチラ見ながら胸元のマイクに向かって小声で「はい。ええ、わかりました」と言っている。彼の視線の先には司令所のようなものがあり、そこで彼の上官とおぼしき職員がトランシーバーで指示を出している。どうやら全体を見張っていた監視役の職員から私をチェックしろという指令が出たようだ。

 そんなわけでバックパックを開けて中の物を調べられたが、もちろん私は潔白なので何も出てこない。「ほら見たか!因縁つけるんじゃねぇよ!」と怒鳴ってやりたいところだが、こーいう時の税関職員ってのは「すみませんね。これ見せてもらえますか。本当に申し訳ありませんね。あっ、ちょっとこれも開けてもらっていいですか。本当にごめんなさいね。」、とひたすら低姿勢で攻めてくるので、こっちとしても「ええ構いませんよ。オシゴトですからね。」と答えるしかない。敵の方が何枚も上手である。

 ちなみに、バックパッカーの宿命で私も帰国時はほぼ毎回税関で荷物をチェックされるが、今までに別室行きは一度だけ。19歳の時にタイ、カンボジア、マレーシアを三ヶ月かけて回って帰ってきた時は関空で別室に連れて行かれた。荷物を全部出されて一つ一つチェックされたが、洗濯していない汗くさいシャツがあってめっちゃ恥ずかしかった。幸い服は脱がされなかったが、要注意人物と見られるとパンツ一丁にされるらしい。

 ということで、何とも締まりのない終わり方になりましたが、これで今回の中国旅行記は終わりです。こんな駄文を読んで下さって本当にありがとうございました。本当は3回ぐらいで終わるつもりだったんですが、まさかこんなに長くなるとは思いもよりませんでした。それだけ今回の旅が楽しくて新鮮だったので、書きたいことがたくさんあったってことです。中国は確かに色々と問題のある国ですし、色々と問題のある人もいますけど、親切な人は本当に親切だし、食べ物も美味しいし、景色もきれいだし、個人的には大好きな国です。
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2008年01月23日

中国旅游記 第十四話:上海狂詩曲

 さて、我々が乗った上海行きのバスは寝台バスだった。実は私は寝台バス初体験。車内はこんな感じ。

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 背もたれが半分倒れている二段ベッドが3列に並んでおり、入口のドアで靴を脱いで上がる。中国名物の寝台バスに関しては眠れないという噂を聞いており、ちゃんと眠れるかどうか心配だったが、酒をしこたま飲んでいたせいもあって意外とよく眠れた。普通のバスよりは断然良いと私は思ったが、素真は「クサイ足の臭いが車内に充満していた眠れなかった」らしい・・・。

 早朝に上海に着いて外灘(バンド)をブラブラして時間を潰し、その後南京路で土産用にお茶とお菓子を買った。本当はウォールマートに行って中華料理の食材を大量に買い込みたかったが、時間がなかったので断念。港で素真と別れの挨拶を交わし、再会を約束してから新鑑真号に乗り込んだ。

 冬休みだったせいか船内はかなり混んでいた。日本人も多かったが、自称"中国通"のオヤジたちはでかい声で女の話ばかりしているし、小綺麗な格好をした若者のグループは「元カレがしつこいんですよ〜」とか「昨日上海であの男に誘われて食事に行ったんですけどね、たかが200元ぐらいなのに割り勘にするんですよ。信じられないでしょ。」なんて話をしている。

 せっかく亳州で心が洗われるような経験をしてきたのに、突然自分が何か醜い世界に戻ってきたようで、日本に帰るのがますますおっくうになった。結局、他の乗客とはほとんど話をせずに、素真のお母さんが持たせてくれたピーナッツとゆで卵を食べながらひたすら青島ビールを飲んでいた。

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 朝の外灘。
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2008年01月20日

中国旅游記 第十三話:我想再去亳州

 亳州のバスターミナルでワンシュンと別れ、上海行きの夜行バスに乗り込んだ。別れる時ワンシュンにお礼を言ってハグをした。彼女は私たちのバスが発車するまで見送ってくれた。

 このバスの切符は昼間バスターミナルに来て買っておいたのだが、その時ワンシュンと素真が私の切符代も払おうとした。切符代は150元(約2250円)。日本円にするとたいしたことないが、この前の書いたように彼女たちの月給は恐らく1500〜2000元(22500〜30000円)ぐらい。そんな彼女たちにとって150元は大金だ。

 今まで書いてこなかったが、実は今回の亳州滞在中私はほとんどお金を払っていない。食堂や観光施設やバスはおろか賓館(ホテル)の代金も全てワンシュンやユイインが払ってくれた。もちろん私は何度も払おうとしたが、絶対に払わせてくれなかった。

 さすがにバスの切符は高いので無理矢理お札を素真のポケットにねじ込んだが、友達の友達、しかもまともに中国語でコミュニケーションすることさえできない私にこんなに親切にしてもらえるなんて・・・。素真の人柄のせいかもしれないけど、二人ともホントいい女の子だった。お陰で普通の観光旅行ではなかなか味わえない貴重な経験ができたと思う。ぜひまた亳州に行きたい。もっと中国語をしゃべれるようになって・・・。
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2008年01月19日

中国旅游記 第十二話:亳州飽食記 第三回

 素真の両親に別れを告げてバスで亳州に戻り、繁華街にあるデパートに行って荷物を預ける。中国のデパートやスーパーにはたいてい入口に荷物預かり所がある。万引き防止のためなんだろうか?駅の荷物預かり所などで荷物を預けると金がかかるがデパートなら無料。これ常識。

 デパートの前でワンシュンと合流。「そうそう、あれを食べよう」と言ってワンシュンが駆けていった先はある屋台。彼女は何かが刺さった串を持って帰ってきた。「これ食べたことある?」と言って差し出されたのがこれ。

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 孵化する直前の鶏の卵の中身を唐揚げにしたもの。ベトナムやラオスではゆで卵にして食べるらしいが、ここでは中身を割って揚げるみたいだ。味は鶏肉なんだけど黄身が残っていて卵の味もするという珍味。見かけはグロテクスだが肉がやわらかくてめっちゃ美味い。今回中国で食べたものの中では一番美味かったかも。

 たいして見所のない華陀庵へ行ってから、老子を祀った老子廟へ。寺院の閉館時間は17時だったが、17時を少し過ぎてから行ってもまだ開いていた。これ幸いと中に入ろうとすると係員のおばちゃんにチケットを買えと言われる。が、素直に払わないのが亳州人。

 ここではワンシュンが交渉役。私の中国語力ではよく聞き取れないが、時計を指さして「もう閉館時間を過ぎているんだからタダで入れてよ。仕事は終わりなんだからチケット売らなくてもいいでしょ。私たちが戸締まりしておくからおばちゃんはもう帰っていいわよ。」と言っているようだ。何だそのむちゃくちゃな論理は?

 ワンシュンとおばちゃんが交渉している隙に私と素真は金を払わずに中に入った。大阪のおばちゃんも顔負けの強引さ。ちなみに、華陀庵ではワンシュンが入場料を2/3に値切ったらしい。公営の観光施設の入場料を値切るワンシュンも凄いが、値切りに応じる中国人も凄い。素真いわく亳州人は商売上手で金持ちが多いらしい・・・。

 そーいえば素真も値切るの上手だもんな。一緒に旅をしていた時はホントにお世話になった。麗江で1泊15元(約225円)と格安の宿をさらに値切ろうとして延々と交渉していた時はさすがに呆れて言葉が出なかったけど・・・。まぁ彼女は人と話をするのが好きなので、そういうやりとりが楽しいんだろう。

 その後、彼女たちが通っていた亳州二中高(日本風に言うなら亳州第二中学校・高校)に行く。学校の中を歩いて回った。日本の高校とそう違わないけど規模が違う。大きな寮も併設されている。夕闇が迫る人工芝の校庭では学生たちが楽しそうに遊んでいた。日本じゃ見られない光景。

 彼女たちが高校時代に教えを受けた英語の先生の家へ行った。先生の家に行く前にスーパーでお菓子やジュースをたくさん買って手みやげにしていたが、目上の人を訪ねる時はお土産を持って行くのが中国の習慣なんだろうか?

 突然の訪問にもかかわらず先生は歓迎してくれた。先生一家の住まいは新しくてきれいなアパートだけど、ここにも暖房はなくて、家の人は室内でもコートを着て生活している。これがこの地方の標準なんだろう。ここでも家に入るなり先生の旦那さんに煙草を勧められた。私は普段は煙草は吸わないが、こういう時は素直に受け取って吸うことにしている。煙草は嫌いだが、旅先でのコミュニケーションに不可欠なのも事実。

 素真と先生は卒業後も何度も会っていて、教師と元生徒というよりも友達同士という関係らしい。先生が火鍋をご馳走してくれるというので、先生の旦那さんと娘も一緒に火鍋を食べに行く。といっても、今回は辛いのが苦手な人もいるので、鍋のスープは普通の中華ダシ。ただし、タレが色々選べる。私はごまダレを選んだ。昨日の地鍋鶏は鶏が丸々一匹だったが、今回はアヒルが丸々一匹入っていた。アヒル鍋もなかなか美味い。「これ美味しいわよ」と先生に水掻きのついた足を渡された時は困ったけど・・・。

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 右から二番目が先生で左端は先生の娘。お酒に弱い素真とワンシュンは顔が真っ赤。ちなみに、先生の娘は12歳なのに身長172cmの私よりも背が高かった・・・。

 先生の旦那さんは英語は全くダメだったが、酒好きに言葉は不要。青島ビールで乾杯しまくった。中国語で乾杯は「干杯」と言うが、読んで字のごとく、干杯と言ったら一気に飲み干さなければいけないらしい。私はそれを知らなくて最初はチョビチョビ飲んでいたが、旦那さんにそう説明されて「干杯」しまくった。ちなみに、「干杯」は立ち上がってやるのが基本のようだ。

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 先生の旦那さんとツーショット。見ての通り二人ともかなり酔ってます。この夜は数え切れないほど「干杯」した・・・。

 こうして亳州最後の夜も腹一杯になって終えたのであった。
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2008年01月18日

中国旅游記 第十一話:亳州飽食記 第二回

 夕方まで街をブラブラしてから亳州の郊外にある素真の実家へ向かう。亳州から真っ直ぐ伸びる高速道路をバス(ワゴン車)で爆走すること30分。小さな橋のたもとでバスを降り、川沿いの小道を1kmぐらい歩いていくと家が見えてきた。この川は素真が子供の頃は泳げるくらいきれいだったらしいが、今は黒く濁っていてとても泳げそうにない。こんな田舎にも中国の近代化の影響は出ている。

 20戸ぐらいの小さな村にあるごく普通の農家が彼女の実家。彼女の両親が温かく迎えてくれ、お母さんがすぐに夕食を用意してくれた。疲れていたし緊張していたのでメニューはあまり覚えていないが、粥、白菜炒め、鶏のスープの他に1品ぐらいと青島ビールだったと思う。腹は全然減っていなかったが、「もうお腹一杯です」と言ってもお母さんがどんどん持ってくるので頑張って食べた。中国では客人に食べきれないほどの料理を出すのがもてなしの作法で、それを全部食べてしまうと「足りない」ってことで逆に無礼ってことになるらしいが、こっちは根っからの貧乏性日本人である。頑張って食えるだけ食ったが、さすがに食べきれずギブアップ。

 食後、みんなで一緒に白黒テレビで中国ドラマを見た。この家にある電化製品は炊飯器とテレビのみ。日本の冬並みに寒いが暖房などもちろんあるはずもない。室内でもみんなコートを着ている。寒いので布団に入ってテレビを見ていたらいつの間にか眠っていた。

 翌朝、素真の両親は7時半頃に起きたが、私たちは9時半ぐらいまで寝ていた。起きたら朝食の準備が出来ていた。粥と饅頭(具はなし)に炒面(中国風焼きそば)。お母さんに「砂糖は入れる?」と訊かれた時、何に入れるのか分からずについ条件反射で「要」(いる)と答えてしまったら、砂糖たっぷりのめっちゃ甘いお粥が出てきた・・・。白粥(ただのお粥)は好きなんだけど、甘いのは苦手。何とか我慢して平らげたら、二杯目を出された・・・。もうお腹一杯なんですが・・・。

 食後、村の辺りをブラブラ散歩。まずは同じ村にある素真の叔父たちの家を回った。素真の家を出るときに、お父さんに煙草とライターを渡されて、他の家を訪れた時は家の人に煙草を勧めなさいと言われた。が、どこの家でも私が差し出すよりも早く家主に煙草を差し出されてしまった。う〜ん、タイミング難しい・・・。中国全土なのかこの地域限定なのか分からないが、どうも男の人と会った時は煙草を勧めるという習慣があるようだ。

 村の他の家は玄関に春節(旧正月)の飾り付けをしてあるのに素真の家にはない。不思議に思って理由を訊いたら、彼女の祖父がつい最近亡くなったらしい。喪中の家は飾り付けをしないそうだ。

 ただ、祖父といっても彼女と血のつながりはない。彼女の実の祖父は1960年に亡くなったそうだ。死因は「餓死」。1960年といえば大躍進という毛沢東の大失政で中国全土で多数の餓死者が出た年。中でも安徽省の飢饉は酷かったらしい。彼女の祖母と幼かった父は生き残ったらしいので、恐らく祖父はわずかな食料を妻子に与えて自分はほとんど食べなかったのだろう。何と言っていいかわからず言葉に詰まった。素真の父のものだという麦畑の脇のあぜ道に座ってこの話を聞いたのだが、小さな青い麦が一面に生えている目の前の麦畑と「餓死」という言葉が結びつかなかった。

 麦畑の中を通って隣村の市場(といっても露店が数店あるだけ)を散策してから素真の家に戻り昼食。素真が作った手打ちの面条(麺)と魚のスープ、豆腐炒め。どれも激ウマ。特に面条のスープは絶品。どーやって作ってるんだろうなぁ。レシピを教えてもらえばよかった。軽く揚げた魚(鯉?)を入れたスープも美味しかった。

 けど、例によって食べきれないほど出される。「お腹一杯でもう食べれません」と言ったら、「女の子みたいに小食なのね」とお母さんに鼻で笑われた。いや、男でもそんなに食べられませんって・・・。

 ちなみに、この豆腐炒めの豆腐は日本の豆腐とは全然違う。湯葉みたいな色をしており薄くて平べったい。面白いのは村にこの豆腐を売りに来る豆腐屋さん。「とうふ〜、とうふ〜」と言いながら自転車に乗って売りに来るのは昔の日本と一緒だが、違うところがひとつある。この豆腐屋さんではお金を払って豆腐を買うこともできるが、豆腐の原料になる豆(大豆?)を持って行くと豆腐と交換してくれるのだ。

 そこで素真のお母さんも豆と交換してもらおうと思ってボールに豆を入れて持って行ったが、「粒が小さくて質が悪いからダメだ」と言われ、仕方なくお金を払って買っていた。最初にこの話を聞いた時は一体どうやって利益を得ているのかと不思議だったが、こうして原料の在庫を上手く調整しているでしょうね。こうすれば原料の仕入れにお金をかけることなく商売できるってわけだ。さすが中国人。商売上手だ。

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 台所でかまどの火を起こす素真。彼女の背後にあるのは乾燥したトウモロコシ。彼女の家では小麦やトウモロコシを作っており、出荷できないものや、実を食べた後の芯を燃料代わりに使っているらしい。
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2008年01月17日

中国旅游記 第十話:亳州飽食記 第一回

 火車は夜中の12時過ぎに亳州(はくしゅう)駅に到着。深夜にも関わらず素真の友達のワンシュン(漢字不明)とその友達が迎えに来ていた。5人で夜市にメシを食いに行くことに。糞寒い深夜にも関わらず路上で営業している屋台がいくつかある。トマトと卵のスープ(甘い)、白菜炒め、麻辣鶏湯(辛い鶏のスープ)、ウサギの丸焼きといったベタなメニューの他に頼んだのがこれ。

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 謎の虫を炒めたもの。素真に聞くと「何かよく分からないけどたぶん蝶になる虫」ということなので、恐らく蝶のサナギ。ちょっと抵抗があったが、思い切って口に入れてみた。苦い煮干しみたいな味。美味くはないが、不味くて食えないってほどではない。金を払ってまで食べたいとは思わないけど・・・。ちなみに、食べ残した分はワンシュンがビニール袋に入れて持って帰った。お父さんの大好物らしい・・・。

 その後、ワンシュンが手配しておいてくれたホテルに行って泊まる。めっちゃ疲れていたのですぐに寝た。翌朝は9時半頃まで熟睡して、ホテルの近くの屋台で朝メシ。

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 朝食を食べる素真。お椀にかぶせられたビニール袋に注目。お粥、鶏湯(鶏のスープ)、煎餅(ネギ入りのクレープみたいなの)、油条(油で揚げたパン)の計4点でわずか2元(30円)。これで2人分。安いうえに美味い。

 さて、亳州といっても「それどこ?」って方が大半だろうが、亳州はかつて言焦(ショウ)と呼ばれていたと言えばピンと来る方もいるかと思う。そう、亳州は三国志で有名な曹操の出身地なのである。また、名医として名高い華陀の生地でもあり、漢方薬産業が盛ん。さらには、老子や張良、そしてディズニー映画「ムーラン」のモデルとなった花木蘭の故郷でもある。

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 華陀の銅像。背後に見えるのは巨大な漢方薬市場。

 亳州市政府は三国志を使った街興しに力を入れているようで、市内各地に三国志にまつわる史跡や観光施設がある。そのうちの一つである曹氏公園(曹一族の親族の墓があった場所とされている)で素真の友達のユイイン(漢字不明)と待ち合わせ。昨日のワンシュンは高校時代の同級生らしいが、このユイインは中学時代からの友達らしい。

 3人で曹氏公園の隣にある三国撹勝宮へ。入場料20元。三国時代の城を再現した建物があって外見はなかなか立派。が、内部はしょぼい。手作り感あふれる等身大の人形を使ったジオラマで三国志の名場面が再現されており(微妙に動く)、やる気のないガイドが片手に持った携帯でメールを打ちながらセリフ棒読みで解説してくれるという素晴らしい施設。あまりにしょぼすぎて写真を撮らなかったことが今になって悔やまれる。今まで行った観光地の中で間違いなく最高のしょぼさ。ちなみに、素真によれば昔は入場料無料で、こんな人形もなかったらしい。

 さっき朝飯を食ったばかりだし、歩いている途中にも火考餅(火と考で一文字)という中国版ピザみたいなのを食べたところで腹は全然減っていなかったが、昼食の時間だということで繁華街から脇道に入った所にある店で地鍋鶏を食べた。地鍋鶏とは激辛スープを満たした中華鍋に鶏肉とじゃがいも、小麦粉を練って平べったくしたものを入れて煮たもの。鶏肉は鶏が丸々一羽入っており、頭や内臓は当然ながら血まで入っている。「辛い。辛い。」と言いながら食べたがめっちゃ美味かった。

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 地鍋鶏をつつくユイイン。鍋のスープの色に注目。

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 鶏の頭。合掌してから食しましたが、なかなか美味でした。

 昼食後、曹操運兵道という古代の地下道へ。曹操の名前が付いているが、実際には曹操とは関係なく宋時代のものらしい。まぁそれでも十分古いが。城の内部と外部を繋ぐ地下道だったそうで、石で固められたトンネルで現在でもしっかりと残っている。なかなか面白かった。
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2008年01月16日

中国旅游記 第九話:在火車上

 腹がふくれたところで駅に行って、亳州(はくしゅう)行きの火車(列車)の切符を購入。もちろん無座。亳州は安徽省北部の街で素真の故郷。といっても、彼女の実家は亳州からバスでさらに30分ぐらいの小さな村にあるのだが、今回の旅の第二の目的はそこに行くことだった。

 列車は19時前の発車なので時間はたっぷりあったが、眠くて疲れていた私たちは駅の待合室のベンチで寝て過ごした。電車は定刻通りに来た。切符は無座だったが、幸い空いている席があったので座れた。車内はほぼ満員。

 素真と英語で話していると、周りの乗客が素真に「この男は何人なんだ?」と訊いてくる。これくらいなら私にも答えられるが、敢えて黙っていると、素真は「何人だと思う?」とはぐらかす。

 今回の旅ではバスや食堂でこの質問をされる度に「何人だと思う?」と返したが、日本人だと答えたヤツは一人もいなかった。韓国人と言ったヤツも一人だけ。一番多かったのがウイグル人。5〜6回は言われたと思う。色白でヒゲ生やしてるからだろうけど、顔は全然似てないぞ・・・。

 んで、次に多かったのがロシア人。何でだ?どこをどう見たらロシア人になるんだ?さらにはイタリア人とかカナダ人とか言うヤツもいた。んなわきゃねーだろ。日本人だと言うと「ウソだろ」と言ったヤツもいたな。そのくせ、中国で街中を歩いているとしょっちゅう中国人と間違われて中国語で道を尋ねられるんだが。「○○通りはどこですか?」って訊かれても知るかっての。

 そんなやりとりをしているうちに、私たちの向かいに座っている兄ちゃんが偶然にも亳州で大学に通っていることが判明。青島にいる彼女に会いに行ってきた帰りらしい。少し英語を話せるので私も話をしてみたら、日本のアニメやらゲームが好きらしい。「最近サクラ大戦Vをやったけど面白いゲームだった」とおっしゃる。

 そしてお馴染みのサッカーの話。中国人の男と話をするとたいていみんなサッカーが好きだと言う。そして、ほぼ100%の確率で「ジョンティエン・インショウは良い選手だ」と言われる。初めて聞いた時は誰だか分からず「本当に日本の選手なのか?」と何度も聞き直したが、後にこれは中田英寿のことだと判明した。

 この列車で会った兄ちゃんは中田の他にもう一人別の選手の名前を口にしたが、初めて聞く名前なので一瞬誰のことか分からなかった。聞き直したら、「チュアンコウ」という名字が聞き取れたので、「あ〜川口能活のことか」と分かった。中国語の発音から漢字を想像するのはホント難しい。

 そーいえば、以前にこういうことがあった。素真と大里に行った時、私たちが泊まったドミにチェコ人がいた。彼は英語で「I'm from Czech」と自己紹介したのだが、素真はCzech(チェクと発音)という単語を知らなかった。「 Czechってどこの国?」と訊く素真に対して、私とこのチェコ人はあの手この手を尽くしてチェコという国を説明しようとしたが、全ては虚しい試みだった。
 
 私たちが諦めかけたその時、ふと私が「昔はチェコ・スロバキアって国だったよ」と言ったところ、素真は「あー!ジィエクー・スールオファークーのことね!」と叫んだのであった。ちなみに、チェコスロバキアを中国語で書くと「捷克斯洛伐克」。読めるか!
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2008年01月15日

中国旅游記 第八話:上泰山 第二回

 5時半に再出発。宿のオヤジは6時出発で間に合うと言っていたが、私は5時半でも遅いくらいだと思っていた。その予感は見事に的中することになる・・・。

 中天門からは石段の段差がかなり急になる。寒さもいっそう厳しくなり、寝不足の体には堪える。少し登っては休むということの繰り返しで、なかなか進まない。そうこうしているうちにだんだん東の空が明るくなってきた。頂上の南天門はまだ遙か上。ヤバイ。このままじゃ間に合わない。しかし、素真はかなり疲れているようで、急かすわけにもいけない。日の出を見るのは無理かなぁと半ば諦めかけた。

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ふらつく素真

 山頂手前の延々と続く石段は本当にキツかったが、7時頃にやっと山頂の入口である南天門に到着。辺りはもう完全に明るくなっている。山頂は風が強くかなり寒い。しかし、南天門からは日の出は見れない。フララフに疲れている素真を引っ張るようにして山頂の東の端にある日観峰を目指すが、思ったより遠くて間に合いそうにない。途中の少し突き出た岩場に中国人観光客が集まっていたのでそこで日の出を見ることにする。登っている途中はほとんど人を見なかったが、山頂のホテルに泊まっていたとおぼしき人がたくさんいる。

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南天門

 7時20分。周りの中国人から歓声が上がり、太陽がわずかに顔を出した。慌ててデジカメを引っ張り出す。が、写真を2枚撮ったところでバッテリーが切れた・・・。登っている途中でレンズカバーの調子が悪くなったので何度もオン/オフを繰り返していたのがマズかった・・・。予備のバッテリーは駅に預けた荷物の中・・・。バカだねぇ。

 そんなわけで撮れた写真はこれだけ。

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 初日の出は見れなかったわ、せっかく見れた1月2日の日の出もバッテリー切れで写真は撮れないわ、もうホントついてない。一体何しに中国に行ったんだろう・・・。まぁ日の出自体は美しく感動的だったから良いけどね。

 山頂を一巡した後、一休みしてから下山。疲れていたのでゆっくり歩いたし、途中何度も座り込んで休憩したので登った時とほぼ同じ4時間かかった。

  腹が減っていたので駅の近くに戻って水餃子を食べた。中国では焼き餃子はあまり見かけず、北部では水餃子、南部では蒸し餃子が一般的。ちなみに、餃子は個数ではなくて重さで注文する。メニューには「一斤 10元」といった風に載っているが、この斤とは500gのこと。中国語をよく知らない旅行者がメニューを指さして注文して、店の人に何を聞かれてもうなずいてばかりいたら、山盛りになった500g分の餃子が出てきて困ったというのはよく聞く話。私は半斤(250g)を頼んだが、それでも食べきれないほどだった。一番高い羊肉餃子を食べたがそれでも半斤で7元(105円)。安いなぁ。
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2008年01月14日

中国旅游記 第七話:上泰山 第一回

 泰山を歩いて登るには4〜6時間からかるらしい。最悪6時間かかることも想定して、私たちは夜の12時頃から登り始めることにした。11時半までネットカフェで時間を潰し(1時間で2元=30円)、タクシーで泰山登山のスタート地点である紅門まで行く。

 出発準備をしていると、天津から来たというおじさんがやってきた。せっかくなので一緒に登ることに。ライトを取り出しカイロを装備していざ出発。

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 紅門を抜けてスタート。

 真っ暗な中を登っていく。ライトの明かりだけが頼りだが、石畳の道になっているので歩きやすい。気温は-5℃。歩いている間は寒くないけど、立ち止まって休憩するとすぐに寒くなる。空は満天の星。これなら日の出は見れそうだ。

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 暗闇の中を楽しそうに会話しながら登る素真とおっちゃん。

 夏場は夜中に登る人も多いらしいが、さすがにこの時期は少ない。私たちの他には男ばかりの騒がしいグループが数組いただけ。最初の頃はみんな元気で時々階段を駆け上ったりしていたが、だんだんペースが落ちてきた。

 それでも何とか2時半頃に中間地点の中天門に到着。ここまでは車道が通っているので、ツアー客はここまでバスで来て、ここからはロープウェイで頂上に登るのが一般的。が、もちろん今は真夜中なのでロープウェイは動いていない。

 中天門には食堂や土産物屋の他に宿もあるのだが、宿のオヤジに訊くと日の出は7時20分ということ。頂上までは2時間でいけるからここで仮眠していけと言う。20元のツインルームを勧められたが、5元のドミトリー風の部屋で二段ベッドの上に入った。汚いベッドでしかも布団が薄くてめっちゃ寒い。ジャケットを着てニット帽をかぶったまま布団に入ったが、寒すぎてほとんど眠れずに震えていた。ネットカフェでもっと時間を潰してから来れば良かった・・・。

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 中天門。後ろに見える「賓館」が私たちが仮眠を取った宿。
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2008年01月13日

中国旅游記 第六話:中国的屋台事情

 そんな謎多き素真と無事再会し、我々は早速腹ごしらえに向かった。私は青島からノンストップで移動してきたので朝から何も食べてない。いかにも中国の地方都市といった趣の泰安の街を歩いていると、彼女の地元の安徽省名物である板面の屋台を発見。板面とはその名の通りきしめんをさらに厚くしたような麺。中国で一般的に面条と呼ばれる麺の一種かと思われる。初体験だったがなかなか美味だった。小碗で3元(約45円)だったが、素真いわく彼女の地元では2元とのこと。

 ちなみに、中国の屋台で麺類やスープを食べると、お椀にビニール袋がかぶせてあり、その上から麺とスープを入れた状態で出てくることがある。客が食べ終わると食べ残しをビニール袋ごと捨て、新しいビニール袋に変えればお椀は洗わなくてもそのまま使える。こうすれば水を使う必要がない。水に不自由する屋台向きのグッドアイディア。洗い物が嫌いな方はぜひ一度お試しあれ。

 「ん?ちょっと待て。その買い物袋のようなビニール袋は果たして清潔なのか?」という疑問を持つかもしれないが、そんなことを気にしていたら中国でメシは食えない。「消毒済」と書かれたビニール袋を使っていた店もあったような気がするが、どんな消毒剤で消毒されているか分かったものではないので安心はできない。が、そんなことを気にしていたら・・・(以下略)。うまけりゃそれでいいのだ。

 今の職場で旅の話をすると、「そんな汚い屋台なんかでよく食べれますねえ」と言われる。いくら私が「屋台こそが庶民の味で、美味いし安いし、屋台がたくさんある国こそ食文化の豊かな国だと言えるんだぞ」と力説しても誰も分かってもらえないので、最近は「まぁ慣れたらどうってことないよ」とだけ答えることにしている。

 そーいえば、こんなこともあった。前回の旅から帰ってきた直後に弟の結婚式のためにスーツを買いに行ったら、スタイルばっちりで化粧もばっちりな百貨店の店員のお姉さんと旅行の話になった。「私も最近北京にツアーで行ってきたんですよ」とお姉さんが言うので、「王府井の小吃街には行きました?」と聞いてみた。すると、「行ってみたけどああいう汚い屋台で食べる気にはならないですよ。だって怖いじゃないですか。」とおっしゃった。住む世界が違うなぁと痛感した瞬間でした。王府井の屋台なんてまだ清潔な方だと思うんだけどねぇ・・・。
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2008年01月12日

中国旅游記 第五話:我的朋友

 済南からのバスは18時すぎに泰山の麓にある泰安市に到着。すでに辺りは真っ暗。バスターミナルではなくてどこか分からない路上で降ろされたが、何とか駅を見つけた。駅前の雑貨店から友達に電話。

 中国でも携帯はかなり普及しているが、日本のようにみんなが持っているわけではない。カード式の公衆電話もあるが、数は多くないし、上海などの大都会以外で中国人が使っているのを見たことはない。その代わり街中の雑貨店などには「公用電話」という看板があり、店先には電話が置かれている。短時間の通話なら5角(8円)程度。電話をすると友達はすぐに駅にやってきた。

 彼女の名前は素真(Suzhen)。2年前に桂林のユースで出会った安徽省出身の女の子。桂林から一緒に雲南省へ行って昆明〜大里〜麗江〜成都と周ってから別れ、私がユーラシア周遊を終えてロシアから再び中国に戻ってきた時に北京で再会した。素真という名前以外は年齢不詳・住所不定の謎の女の子。

 まず年齢不詳の件だが、本人は24歳だと言い張るが彼女のIDカードに書かれている生年月日は1987年。本人は「IDが間違っているのよ。ポリスが間違えたの。」と主張するが、政府が発行し全国民に携帯が義務づけられているIDの情報が間違っているなんてことは考えられない。

 そこでIDが正しいとすると現在20歳ということになるが、私と出会った2年前に「最近まで厦門(アモイ)で大学(専門学校だったかも)に通っていた」と言っていたのでつじつまが合わない。今回の旅で出会った彼女の高校時代の同級生2人に「素真って何歳?」と訊いてみたが、2人とも笑いながら「24歳」と答えたんだよね。一体どっちが本当なんだろう・・・。本人に訊いても「だから24歳って言ってるでしょう」って言うだけだし・・・。

 次に住所不定の件。去年の12月からは浙江省の嘉興という街に住んでいるらしいが、私の知っている限りでも彼女の所在地はこの2年半間の間だけでも廈門、西安、桂林、北京、杭州、広西チワン族自治州、安徽省、武漢、湖州(浙江省)、そして果てはチベットのラサや満州里(ロシアとの国境の街)と中国全土に渡っている。あっちこっちでちょこちょこっと仕事をしたり、学生時代の友達やラサのゲストハウスやバーで働いていた時に知り合った友達の所を転々としているらしい。

 本人曰く「色んなところに行くのが好き」ということだが、こんなに自由奔放な生き方をしている中国人は他に知らない。なんせ、「北京の近くで農業をする」ってメールが来てビックリしたら、その1ヶ月後には「今ラサのバーで働いている」ってメールが来るんだもん。「農業をやるって話はどうなったんだろう?」って思っていたら、今度は「地元の安徽省の街で友達とお店を始める」というメール。「お店って何のお店?」って返信したらしばらく返事がなく、久しぶりにメールが来たと思ったら今度は「武漢の友達のところにいる」と言う。もうわけがわからん。

 こう書くとよっぽど変わった女の子だと思われそうだが、実物はいたってごく普通の真面目な女の子。そして、こんな風にフラフラできるってことは両親が金持ちなのかなと思ったが、実家は安徽省の田舎の普通の農家。謎すぎる。
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2008年01月11日

中国旅游記 第四話:和諧号的旅その2

 新幹線の車内には空いている席がなかったので、デッキに置かれたプラスチックの丸椅子に座る。この和諧号は日本の東北新幹線の「はやて」をベースにしているらしく、車内はほとんど日本の新幹線と一緒。車両入口の自動ドアが何故か開けっ放しになっているのと、ヒマそうな車掌たち7〜8人がデッキにプラスチック椅子を並べておしゃべりしているのがいかにも中国だけど。

 検札に来た車掌にどもりまくりながら「切符持ってません。青島から済南まで行きます」と告げて切符を買う。121元(1800円)。特快なら50元ぐらいなんだがまぁ仕方ない。済南まで2時間半以上かかるけど、日本で2時間半も新幹線に乗ったら1800円どころじゃないからいいか。

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 これが切符。四方(青島)から済南まで、無座(席なし)。

 私の下手くそな中国語を聞いて向かいに座っていた青年が「どこの方ですか?」と訊いてきた。とりあえず、中国語で「我是日本人」と答えたが、それ以上の難しい話になると聞き取れない。彼は英語が少し話せたので途中から英語で会話をした。済南で大学に通っている青年で、正月休みを利用して実家に帰っていたらしい(春節がメインの中国では正月は元旦のみが祝日)。

 ギターを持っていたので音楽の話を振ってみると、MR.BIGやMEGADETH、NIGHTWISH、オジー・オズボーンが好きと言うではないか(注:全てメタルバンド)。中国でロックが好きって人と話をすると、たいていNIRVANAやレッチリとかのベタな名前しか出てこないんだけど、まさかNIGHTWISHが出てくるとはねぇ(NIGHTWISHはヨーロッパで大人気のフィンランドのメタルバンド)。時代も変わったもんだ。

 今度北京にNIGHTWISHとDREAM THEATERが来るらしく、彼はそれを観にに行くらしい。参考までにと思ってチケットの値段を訊くと1200元(約18000円)と言うではないか。彼の英語が間違っているのかと思い中国語で値段を確認してもイエスと答える。「ベリースペシャルなチケットだから」と言っていたが、食堂やスーパーで働いている平均的中国人の若者の月収は1500元とかそんなレベルだぞ。めっちゃ金持ちなのかな?

 彼は将来はアメリカか日本に行ってプロのミュージシャンになりたいと言っていた。「中国じゃダメなの?」と訊くと、「中国はダメだ。いいギタリストはいないよ。」と言った。「中国のバンドで好きなのはないの?」とも訊いてみたが、「中国のバンドに良いのはいないよ」というつれない答え。

 そんな話をしているうちに16時20分頃済南に到着。彼に「友達が迎えに来ているから一緒に食事しないか?」と誘われたけど、泰安で友達を待たしているので申し訳ないけど断る。ちなみに、彼の「友達」はめっちゃ可愛い女の子だった。電車の中で話した時は彼女はいないって言っていたんだが。その辺を突っ込むと笑って誤魔化された。

 彼らは私を駅前のバスターミナルまで連れていってくれて、泰安行きのバスに乗せてくれた。久しぶりの中国で緊張したけど、いきなりいい人に出会えて良かったなぁ。日本じゃ中国人ってあんまいいイメージ持たれていないけど、結構みんな親切なんだよね。
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2008年01月10日

中国旅游記 第三話:和諧号的旅 その1

 こうして船はやっと青島港に入港。12時頃に下船開始し、イミグレーションを突破したのが12時半。青島寒い。青島ビール博物館に行きたかったが、昨日から泰安で待っている友達をこれ以上待たすわけにはいかないので泰安に直行することにする。

 港の近くから鉄道駅へ行く市バスに飛び乗る。しかし、渋滞でなかなか進まず。13時半に駅に到着。時刻表を見ると13:43発の済南行きの中国版新幹線「和諧号」がある。普段なら安い特快の硬座で行くところだが、特快だと時間が倍近くかかるので、ここは敢えて新幹線に乗ることにする。

 中国の駅の切符売り場は常に長蛇の列になっているのだが、新幹線の切符は窓口が別になっているので空いている。そこで切符を買おうとしたが、久々に中国語を使う上に焦っているのでなかなか言葉が出てこない。何とか通じたが、窓口のおばちゃんは発車時間が近いから販売は終了したって感じのことを言っている(よく分からなかったけど)。「次は何時?」と聞くと2時間後という答え。それじゃあ泰安に着くのは夜中になるよ・・・。

 困ったなぁという顔をしていると、側でやりとりを見ていたおっちゃんが寄ってきて俺についてこいと言う。「乗れるのか?」と訊くと、うなずいて猛ダッシュで走り出した。私も急いで走り出す。

 おっちゃんは駅の改札で駅員に何か話して中にいれてもらい、私たちはホームへ駆け上がって停車していた新幹線に乗り込んだ。そして、おっちゃんは予想通り「食べるものを買う金がないから20元(約300円)くれ」と手を差し出す。まぁおっちゃんが教えてくれなければ乗れなかったのでいいかと思って10元だけ渡した。それでもちょっと多いかなと思ったけど。その金を持っておっちゃんは降りていった。最初からこれが目的で切符売り場でウロウロしていたんだろう。他のアジアの国ではこーいう人は多いけど、中国で会ったのは初めてだった。

 その直後に発車。青島滞在わずか1時間15分。青島で青島ビールを飲むという夢は叶えられず。それどころか、昼食を食べる時間も友達に電話をする時間もなかった。

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 和諧号。もちろん青島では時間がなかったので、済南で降りた時に撮影。
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2008年01月09日

中国旅游記 第二話:ゆうとぴあ号事件 その2

 そして翌31日。朝起きて外を見ると青空が広がっている。波も高くない。窓の外には青島の街並みも見える。これなら間違いなく入港できるだろうとみんな思った。

 しかし船は動かない。そしてまた無情のアナウンス。「本船は青島港に接岸を試みましたが、接岸することができませんでした。午後にもう一度接岸を試みます」。

 もう諦めた。じたばたしても仕方ない。寝ころんで本を読む。揺れないので船酔いする心配もない。昨日の夜からレストランでの食事は無料になったが、食材が減ってきたらしく、だんだんメニューが貧しくなっていく。本当なら今頃は美味しい中華を腹一杯食べているはずだったんだがなぁ・・・。

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31日の昼食はおにぎりとそば。貧しすぎる・・・。

 そして、夕方。「本船は青島港に接岸を試みましたが、接岸することができませんでした。本日中の入港はできません」という発表。

 なんじゃそりゃ!朝からこの船は青島沖に浮かんだままで一歩も動いてないんですが・・・。一体どーいうことなんだ?噂によれば、今年の9月だか10月にこの船の僚船である「ゆうとぴあ2」が青島への入港を拒否されたことがあるらしい。本当に強風が原因なのか?

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 船長に詰め寄る中国人乗客。一番怒っていたのは中央の白い服のおばさん。この人は日本語も話せたのだが、「日本人はおとなしすぎるのよ。もっと怒らないとだめよ!」とハッパをかけられた。ごもっともです。

 でも、私が怒ってもどうにもなりそうにないので、フロントの従業員に携帯電話を借りて友達に電話した。友達は浙江省の嘉興という街に住んでいるのだが、列車で一晩かけて今日の朝に泰安に着いて私を待っているのだ。「今どこ?泰安めっちゃ寒いよ〜」という友達に対して、私は「ごめん。まだ船から降りられないんだわ。本当にごめん。」とひたすら謝り倒す。「いつこっちに来れるの?」と訊かれたが、「いやぁ〜、たぶん明日行けると思うけど・・・」と答えるしかなかった。

 そして、2008年1月1日。快晴。絶好の初日の出日和。しかし、前述の通り初日の出を拝むことはできなかった。一体何しに中国に来たんだろう・・・。

 元旦の朝食はご飯と冷凍の卵焼き、焼き魚、ゆで卵、味付け海苔。わびしい。わびしすぎる。そーいえば、ここ3年ほどおせちを食べていないなぁ・・・。ばあちゃんのおせちが懐かしい・・・。

 9時過ぎにいつもの「ただ今から接岸を試みます」というアナウンス。が、やはり船は一歩も動かない。もう誰も期待していない。乗客の間では「今日もダメでしょうねぇ。もう青島はいいからこのまま下関に戻りましょうよ」なんて会話が交わされる。

 しかし、朗報は突然やってきた。10時過ぎ、「おまたせいたしました。本船はこれより青島港に入港いたします」。


 歓喜に沸く船内

 そして、やっと船が動き出した。1月1日午前11時半、近くて遠かった青島港に入港。所用約29時間のはずが、73時間もかかった。こんなはずじゃなかったんだが・・・。やはりあの旅立ちの雨は凶兆だったのか・・・。
posted by Tets at 11:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 06年中国プチ旅行編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月08日

中国旅游記 第一話:ゆうとぴあ号事件 その1

 今回の旅のハイライトは道教の聖地、泰山から眺める初日の出。29日に下関から「ゆうとぴあ号」に乗船し、30日の夕方に青島に着く。翌日、泰安に向かい中国人の友達と合流。夜中に泰山に登り山頂で初日の出を拝む。

 我ながら惚れ惚れするほど完璧な計画だった。唯一気になっていた点としては、乗船前に下関の唐戸市場でふぐの唐揚げを食べたことだったが、それ以外には何も心配はなかった。なのにまさかあんなことになるとは・・・。

 2008年の元旦、私は青島沖に浮かぶゆうぴあ号の船内から初日の出を眺めていた。しかも、なぜかデッキは閉鎖されていて外にでることができず、潮で白く汚れた二等船室の窓から船の後方から登ってくる太陽の明かりをわずかに拝んだ程度だった・・・。頭の中は真っ白だった・・・。

 30日の青島入港予定時刻の一時間前までは全て完璧だった。しかし、そのアナウンスは突然やってきた。

「乗客の皆様にご連絡いたします。青島港は現在強風のため閉鎖されており入港が遅れる予定です」

 船内各所から「え〜!」という声が上がったが、この時はまだ誰も事件の重大さに気づいていなかった・・・。

 他の乗客と「まぁちょっと遅れるくらいなら大丈夫でしょう。」なんて会話をしていたが、夕方5時半頃「強風のため青島港は閉鎖されており、本日は入港できません。」というアナウンス。

 これは予想外だった。だが、まだ私は余裕だった。「明日(31日)は入港できるだろうから、そのまま急いで泰安に向かえば大丈夫だ。残念だけど青島ビール博物館は諦めよう。」と楽観視していた。まさかあんな長期戦になるとはつゆ知らず・・・。

 ― 続く ―
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2008年01月01日

生存報告

えーと、色々とあったけど何とか泰山に着きました。訳あって初日の出は見ることができませんでしたが、無事友達とも合流できたのでこれから登りに行きます。明日晴れるといいなぁ。
posted by Tets at 23:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 06年中国プチ旅行編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月28日

旅立ちはいつも雨

 今夜のムーンライト九州で出立します。朝早くに下関に着いてもヒマなので、とりあえず門司まで行き、歩いて関門トンネルを渡って下関港に向かう予定。ついでに唐戸市場に立ち寄って何か美味しいものでも食べて行こうかなぁ。

 ちなみに、今こっちは雨が降っています。そーいえば2年前にユーラシア横断の旅に出た時も雨だった。縁起が良いのか悪いのか・・・。結果は後ほどご報告します。

 つか、いつものことながら私は荷物を減らすのが下手だ。わずか9日間の旅(うち3泊は船中)なのに、25Lのバックパックはパンパン。衣服は極力少なくしているのになぁ・・・。不思議だ。バックパッカー失格ですな。
posted by Tets at 19:32| Comment(3) | TrackBack(0) | 06年中国プチ旅行編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月23日

旅の予定

 年末年始の中国旅行の予定が決定しましたのでお知らせします。

 28日は仕事が終わってから新大阪駅に向かい夜行快速ムーンライト九州(青春18きっぷ使用)で下関へ。翌朝下関港からフェリーゆうとぴあ号に乗船。翌日の夕方青島着。青島で一泊し青島ビール博物館に行ってから泰山へ向かう。泰山は道教の聖地で、山頂でご来光を拝むと御利益があると言われている。夜中に7412段の石段を登って山頂で初日の出を見る予定。

 その後、泰山から山東省の省都である済南に出て、上海行きの夜行列車に乗る。上海で2〜3日過ごし、一昨年に桂林で出会って一緒に雲南を旅した中国人の女の子と再会する予定。んで、5日発の新鑑真号に乗って帰ってくる。7日の9:30に神戸港に着いてそのまま会社へ。

 宿の予約はしてないし、列車の時刻表も調べていないので予定通りいくかどうか分かりませんが、まぁ中国なら何とかなるでしょう。唯一心配な点は真冬の真夜中に泰山を登るということかな。「地球の歩き方」によれば1月の泰山の平均気温は-15℃。寒い日の深夜なら-25℃ぐらいまでいくかも。今年の1月にフィンランドで-25℃を経験したけど、あの時はそこそこ重装備だった。今回はかなりの軽装で行くつもりなので果たして無事に生還できるのか?請うご期待。

finland.jpg
-25℃のフィンランドで
posted by Tets at 19:55| Comment(3) | TrackBack(1) | 06年中国プチ旅行編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする