2007年02月09日

帰ります

 今日フェリーを運航している会社に電話したら無事チケットが予約できました。ということで、明日の13時発のフェリーに乗って日本に帰ります。12日の9時半に大阪港に着く予定なので、夜までには家に帰れると思います。この旅もこれで本当に終わりです。今夜は一人でしんみりと酒を飲みながらこれまでの旅を振り返るつもりです。日本に帰ったら色々とやらなきゃいけないこと、考えなきゃいけないことがありますが、今はそれを忘れて旅の余韻に浸りたいと思います。

 そんなわけで、今日は帰国に備えて上海市内で買い物をしました。基本的にみやげ物は買わない主義なのですが、祖母と叔母には餞別をもらってきたので、一応何か買って帰ろうと思ったんです。ただ、私は他人にみやげ物やプレゼントを買うのは苦手なので何を買っていいのか分からず、けっこう悩みました。そして、結局中国土産としては一番無難なお茶にしました。ベタですんません。ついでに自分用としてシャツとネクタイを購入。弟の結婚式に着る用です。高級デパートに行って売り場のおばちゃんに選んでもらいました。半分ぐらいしか言ってることは理解できなかったけど、なかなか親切でフレンドリーなおばちゃんでした。ネクタイはシルクですが元々安い上に春節特価の4割引なので格安でした。あとはスーパーで中華食材を色々と買い込んで終了。

 つかね、上海はやっぱり進んでます。北京や南京ではあまり気にならなかったのですが、上海の若者はオシャレれです。特に女の子は他の中国の都市とは着ている物も違えば、顔(=化粧)も全然違います。それなのに、私が着ているものといえば、1年間はき続けてボロボロになったカーゴパンツとプラハで日本人からもらったブカブカのコート・・・。今まであまり気にしてなかったのですが、さすがに上海では少し浮いていて恥ずかしかったです。まぁこれも日本に帰るまでの辛抱ですが。

 つか、実はここ1ヶ月ほど全く日本語を話していないんですよね。フィンランドのサーリセルカの宿で一緒だった日本人の女の人と話したのが最後で、それ以来一度も日本人の旅人と出会っていないので話す機会がありませんでした。南京から上海に来る電車では後ろの席に日本人ビジネスマンが座っていましたし、今日デパ地下で生煎を買うために並んでいたら後ろに日本人観光客のおばさんたちがいましたが、話しかけるのをためらってしまいました。人見知りしちゃうんですよね。まぁたぶんフェリーに乗れば日本人がいるはずなので、そこで久しぶりに日本語を話すことになると思いますが。

 それでは次回の更新は日本からします。再見!
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2007年02月08日

ユーラシア大陸周遊完了!

 今日からちょうど14ヵ月前の2005年12月8日、期待と不安を胸に私は上海港に降り立ちました。それから14ヶ月かけてユーラシア大陸を一周しやっと出発点に戻ってきました。長かった旅ももう終わりです。上海を10日に出るフェリーで日本に帰ります。ただ、実はまだフェリーのキップを取ってないんですよね・・・。混むことは少ないのでたぶん大丈夫だとは思いますが、最後の最後になって帰れないとなったらシャレになんないです。

 そんなわけで久しぶりの上海です。もう何ヶ月も前から上海に戻ったら絶対食いにいくぞと決めていた店がいくつかあったのですが、個人的に中国で一番うまい菜包(野菜まん)を売っていると思っていた店はなくなっているし、めちゃ美味い生煎(ショーロンポーを焼いたみたいなもの)の専門店は再開発でビルごと消えていました・・・。いくら変化の激しい上海とはいえ、たった14ヶ月の間にこんなに変わっているとは思ってもいませんでした。まぁそれでも食べるところはいくらでもあるので食には不自由していませんが。

 念願の中国に戻ってきてから大盤鶏(ウイグルの鳥料理)に砂鍋料理(土鍋料理)、包子、水餃(水餃子)、刀削面(手で削った麺)、羊肉串(羊の串焼き)、羊腰子(腎臓)、煎餅(クレープみたいなの)、蘭州拉面(日本のラーメンとは違う)、臭豆腐(腐った?豆腐)、炒飯、炒面と食べまくっていますが、まだまだ食べたりません。しかし、残りはわずか1日半。悔いを残さないよう頑張ります。つか、宿のロビーでクソ高い金払ってピザとかサンドイッチを食べている欧米人を見ると「彼らは一体何をしに中国へ来てるんだろ?」と思ってしまいます。

 ちなみに、私の一番好きな中華料理は菜包です。菜包とは野菜の入っている饅頭の総称ですが、ただ菜包(または素菜包)と言う場合はニラが入っているものが一般的です。街中でよく売っていて、美味しい店で買うと本当に美味いんです。北京ではあまり見かけなかったのですが、上海や南京ではどこにでもあるので嬉しいです。日本のコンビニでも売ってくれないかなぁ〜。

 そうそう、北京で再会した中国人の友達には何度も発音を訂正された私の中国語ですが、それでも一昨日は込み合う南京駅の切符売り場で早口でまくしたてる駅員相手に中国語だけで切符を買えましたし、駅のアナウンスもほぼ完全に理解できました。ちょっと嬉しかったです。前回の滞在も合わせたらトータルで中国に3ヶ月近くいますから、まぁそれぐらいできて当然なんですけどね。せっかく覚えた中国語なので、日本に帰ったら本を買って独学で勉強してみようかなと思っています。10代後半の頃英語に挫折して以来、本気で他の言語を学びたいと思ったのは初めてかも。それだけでも中国に来た価値はあるかなと思ってます。
posted by Tets at 22:37| Comment(2) | TrackBack(0) | 旅1:中国編パート2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月06日

北京ボッタクリ1日ツアー

 そんなわけでまだ北京にいます。明日の夜行列車で南京に向かい一泊してから上海に向かう予定です。1年ぶりの中国滞在も残すところあと5日。まだまだ食べたい物が食べれていないので、残りの5日で悔いのないように食べ尽くすつもりです。ヨーロッパで貧しい食生活をしていた頃は中国に戻ってきて美味い中華料理を食べまくることだけを楽しみに頑張っていたので。

 そんなわけで初の北京ですが、ここで前回中国に来た時に知り合った中国人の女の子と再会しました。この女の子はなかなか変わった女の子で、ごく普通のまじめな19歳の女の子だけど住所不定。前回会った時は海南省の専門学校(?)を卒業したばかりだったのですが、親に告げず海口〜西安〜桂林と旅をしていて私とは桂林で出会いました。そのまま昆明〜大理〜麗江〜成都と私と一緒に旅をして安徽省の実家に帰っていきました。その間、母親は彼女はずっと海南省にいると思っていたとか・・・。

 その後、楚州で就職したというメールが来たと思ったら数ヶ月でやめてしまい、北京で友達と農業をするとかいうメールが来たかと思えば、いつの間にかチベットのラサに行っていてバーで働いていたというよくわかんない子です。現在は家族と春節を過ごすために北京の姉の家に滞在しているけど今後の予定は未定だとか・・・。でも、めっちゃ性格のいい子でいつもニコニコしていて誰とでもすぐに仲良くなれるという特技があります。今回久しぶりに再会して3日間北京市内の色々なところに行きましたが、とても楽しかったです。彼女は少し英語が話せるので普段は英語で話しているのですが、時々私の中国語の練習相手になってもらっています。彼女は安徽省出身ですがクリアな中国語(普通話)を話すので中国語の先生としては最適です。

 んで、北京に来たからには万里の長城を見なければ損だと思い、昨日彼女と一緒に中国人向けツアーに参加して万里の長城に行ってきたのですが、このツアーが酷かったです。今までにも何度か中国でツアーに参加しているのでその酷さは知っているつもりだったのですが、今回のは想像をはるかに超えていました。

 まず、天安門広場の近くで客引きのおばちゃんと交渉した時の言い値は120元(約1800円)だったのですが、交渉して100元まで値切りました。入場料・交通費・食事込みで100元ならまぁいいかなと思って話に乗ったのですが、バスが走り出すと化粧の濃い怖い顔をしたガイドのおばちゃんがマイクで話だしました。金の話をしているなぁということはわかったのですが、なんせ早口の中国語なので私にはよくわかりません。隣の席に座っていた友達に聞くと、「ツアー代の120元には古北京という施設の入場料が含まれておらず、これが80元する。万里の長城の入場料と食費、交通費で120元は消えてしまうので、さらに80元払ってもらわないといけない」とか言っているらしいのです。周りの中国人たちも聞いてなかったみたいで口々に「聞いてない!」と言っているのですが、ガイドは抗議の声には耳を貸さずに金を徴収していきます。仕方がないので私たちも払いましたが、中国で80元といえば大金です。きったねぇなぁと思いながらも、最初からガイドがさかんに北京ダックが食えると言っているので、それならまぁ仕方ないかなと自分に言い聞かせて何とか納得しました。

 さて、そうこうしている間もバスは万里の長城に向けて走り続けていたのですが、車内ではガイドがひたすらしゃべり続けています。最初のころは何とかして話を理解しようと努力していましたが、数字やいくつかの単語ぐらいしかわからないし、延々に話し続けるので途中からは諦めました。出発から1時間経ってもしゃべり続けているのでこっちは眠くなってきてウトウトしかけるのですが、寝ている人を見つけるとガイドはしゃべるのを止めてその人の席に行って起こします。おまけに、誰かが隣の人とおしゃべりをしだすと、ガイドはまた話すのをやめて、話を止めるまでその人をじっと見つめるんです。まるで学校の先生です。中3の時の学年主任のおばさんを思い出しました。

 万里の長城では1時間自由行動。壁の上を歩いて写真を撮ったりとまぁそれなりに楽しみました。しかし、ここから先が問題。再びバスに乗って走り出すとガイドは自分の腕輪を見せながらピージュウ(啤酒=ビールではない)とかいう石の説明をしだすのです。中国人の友達に漢字を教えてもらったのですが見たことのない漢字でしたし、私の持っているポケット辞書にもこのピージュウという単語は載っていなかったのですが、どうやら玉のように貴重な石のようです。そんなわけで、次の目的地はこのピージュウやら玉を売っている土産物屋。まぁ中国のツアーで土産物屋に連れて行かれのには慣れているので、これはまぁ軽く受け流しましたが、土産物屋の敷地内のレストランで出された昼食の不味さにはビックリしました。大きなテーブルに8人ぐらいが座って作り置きの野菜炒めが数皿と魚、米、スープだけで、どれも不味い。でも、後で北京ダックが食えるらしいので我慢しようと自分に言い聞かせました。

 再びバスに乗り込み連れて行かれたのは老北京という北京の古い町並みを再現した(?)施設。ここが80元もするというとこらしいですが、場内には他の観光客の姿はなく私たちだけ。おまけに、昔の茶館やら娼館やらが中途半端に展示されているだけで全然面白くない。一通り見た後、とある建物に案内されたかと思えば、舞台におじいちゃんが出てきて剣や釘、鉄の玉を取り出す。そして、剣を飲み込み、釘を鼻に刺し、鉄の玉を飲み込んで吐き出す。これが80元かぁ・・・と何か釈然としない気持ちでこの施設を後にしました。

 次の目的地は有名な観光地である明十三陵の一つ。しかし、車中で常にしゃべり続けているガイドによれば、子供や老人は呪われるらしい(?)のでここに入らない方が良いとのこと。私の同行者はこの話を聞いてビビって入らないというので、私も入らずにバスに残りました。後で聞いた話によれば、私たちが連れて行かれたのは公開されている墓の中では人気のない方であまり人も来ないところだとか。

 そして、ついに待望の北京ダック。こんな酷いツアーなのにここまで我慢してきたのも北京ダックが食えるというから。やっと夢にまで見た北京ダックが食える!と思ったのですが、バスの着いたところはレストランではなくて土産物屋。「アレ?」っと思いながらも中に入ると、パック詰めの土産用の北京ダックの並んだカウンターに肉が載った紙皿が一つとつまようじが多数・・・。試食かよ!!おまけに、30人ぐらいが皿一つに並んで食うのでゆっくり食うことができず、結局、つまようじで小さな肉片を2切れ食っただけで終わりました・・・。ガイドは「北京ダックを食べる」と言っていただけで、土産用北京ダックの試食だなんて一言も言ってなかったんですが・・・。もうこれには笑うしかなかったですね。ちなみに、この店は店内の棚が迷路のようになっていて、北京ダックの試食場から出口に行くには土産物の並んだ迷路を抜けないと行けない構造になっています。

 この後、わけのわからん中華医院に連れて行かれ、中医と洋医の違いを説明され、年寄りの先生に脈を診てもらってコメントをもらい終わり。北京に着いた時は身も心もクタクタでした。ホント、超アンビリーバブルなツアーでしたね。ツアーに参加していた中国人の大半の地方から観光に来たおのぼりさんみたいなので、何も知らないのをいい事にコイツらはもうやりたい放題やっているみたいです。中国のツアーの酷さは知っていたけど、まさかここまでとはねぇ。いい経験になりました。そーいえば、今日別のツアーに行ったオジーは約束と違う明十三陵に連れて行かれたためツアー参加者とガイドが口論になり、めっちゃ気まずい雰囲気だったそうです。北京ってこんなんでオリンピックできるんですかね?
posted by Tets at 00:36| Comment(4) | TrackBack(0) | 旅1:中国編パート2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月02日

我到北京了!

 そんなわけでモスクワから144時間45分(20分遅れました)かけて9000kmを走破し北京にやってきました。書きたいことは色々あるのですが、今回は車内の話限定で。

 乗車する前にネットで旅行記などを読むとシベリア鉄道の車内ではロシア人と毎日ウォッカで大宴会という話だったので、ロシア語の辞書とネミロフというウクライナ産トウガラシ入りウォッカ持参で電車に乗り込んだのですが、春節前ということもあって車内は里帰りする中国人でいっぱいでした。私の乗っていた車両の乗客36人中ロシア人が2人とドイツ人、私の他は全員が中国人でモスクワを出た瞬間から車内はまるで中国の列車のような雰囲気でした。

 幸いドイツ人が私と同じコンパートメントにいたので最初は主に彼と話をしていたのですが、徐々に他の中国人とも打ち解けてきて、私の片言以下の中国語とあまり役に立たない筆談を駆使して話すようになりました。みんなフレンドリーで陽気なヤツらで楽しかったです。ほぼ全員が中国東北部の出身でみんな出稼ぎに行っていたようです。業種は様々でマーケットでの商売から中華料理店、建設現場など色んな仕事をしていたようです。

 んで、この出会いで出稼ぎ中国人に対するイメージがかなり変わりました。彼らは1〜2年ぐらい家族とはなれてロシアで働いていて、みな家族に早く会いたいと口にしていました。彼らに「ロシアは好きか?」と訊くとみんな嫌いだと答えるんですよね。そして、「またロシアに戻るか?」と訊くとこれまたみな同じ答えで「もう戻らない」と言うんですよね。

 私のコンパートメントにいた中国人のおじさんはペテルブルグの建設現場で働いていたらしいのですが、私たちの乗った電車がロシアと中国の国境に着くとコンパートメントの中に私を呼んだんです。私を隣に座らすと懐から100ドル紙幣を4枚取り出すと、これを預かってくれないかと言ってきました。彼は極度にロシアの警官を恐れているようで、他のドル紙幣も衣服の袖などに隠していました。警官がコンパートメントに入ってきてパスポートの提示を求めると、私たちは座ったままだったのにこのおじさんは立ち上がり警官がパスポートをチェックする間、直立不動で立っていたんですよね。何ともいえない悲しい光景でした。警官たちが去るとおじさんは「ロシアの警官は悪いけど中国の警官は良い」と何度も繰り返していました。

 そして、ロシア側の駅から中国側の駅に向かって列車が走っている間、彼と中国について話をしていたのですが、私が「上海や桂林、昆明、西安、チベットなどに行ったことがある」と言うと、彼は「日本で働けば金になるからね。俺は母親や妻、子供を養っていかなければいけないから旅行なんてしたことないよ」って言ったんです。今回の旅でユーラシア大陸を周遊して正直私は少し浮かれていたんですけど、この言葉を聞いてそんな自分が恥ずかしくなりました。世界を回って色んなことを見て知った気になっていたけど、そんなことで満足している自分ってなんて小さな人間なんだろうと。幸いロシアの警官は荷物チェックをせずに降りていきましたが、首からさげた貴重品袋に入れた彼の400ドルはずっしりと重かったです。

 一方で非常に興味深い中国人にも出会いました。彼はロシアに11年間住んでいるらしく、ロシア人と結婚して農業をやっていると言っていました。彼は19歳の時に始めてロシアに行ったらしく、「なぜロシアに行ったの?」と訊くと「ロシア語を勉強したかったから」と答えました。でも、学校に行くことはできないので働きながらロシア語を身につけたそうです。そして、他の中国人にしていたのと同じように「ロシアは好きか?」と訊くと彼は「好きだ」と答えたんですよね。そこで、「なぜ?」と訊くと彼は「自由だから」と。電車に乗っていた10人ぐらいの中国人に同じ質問をしましたが、好きだと答えたのは彼だけでした。彼の目にはロシアはまた別の姿で映っているんでしょうね。彼はロシア語はもちろんペラペラでしたし、大学に行っていない中国人としは珍しく英語も少し話せました。会話していてもどこか知的な香りのする人でとても印象的な人でしたね。

 この他にもやたらとフレンドリーな中国人のコックのおっちゃんとか、英語ペラペラのロシア人のおっちゃん(どうも旧ソ連の情報機関関係で働いていたっぽい)など面白い人と出会えて楽しい旅でした。

P.S.
 約1年ぶりの中国なのですっかり忘れていたんですが、実はこのblogのあるサーバーは中国政府の規制を受けているみたいで、中国国内からアクセスすることができません。投稿用のサーバーは別にあってそれは規制されていないのでこうして更新することはできるのですが、頂いたコメントを読むことができません。日本に帰ったらかならず返信しますのでご了承ください。
posted by Tets at 23:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅1:中国編パート2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする