2009年10月21日

山宣と壁と卵

 今日は京都の宇治に行ってきた。目的は山本宣治の墓に参るため。山宣の愛称で親しまれた山本宣治は元々は生物学者で、宇治にある料亭「花やしき」の若旦那でもあった。第一回普通選挙で当選し衆議院議員になったが、1929年の治安維持法の改悪に反対し、右翼団体の構成員に刺されて亡くなった(詳しくはwiki参照)。

 実は山宣は私の母方の親戚に当たる。子供のころから祖母に山宣の話を何度も聞かされていたので、いつか墓参をしたいと思っていた。

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 「花やしき」の裏にある小山の墓地に立つ山宣の墓。墓の前で静かに手を合わせてきました。
 
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 墓石の裏にある碑銘。死の2日前の集会での彼の演説の「山宣ひとり孤塁をまもる。だが私はさびしくない。背後には大衆が支持しているから」という言葉が刻まれている。

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 山宣の子孫が今も守っている料亭「花やしき」の片隅に小さな山宣の資料館がある。そこも訪れてきた。写真のように手作り感あふれる資料館だが、彼の人柄や功績がよく分かる資料が展示されていて見応えは十分あった。山宣のデスマクスにはちょっとビックリしたが。

 山宣の墓に参った後、村上春樹がイスラエル賞の授賞式で行ったスピーチのことを考えた(スピーチの全文)。壁と卵を比喩にしてイスラエルの政策を暗に批判した彼のスピーチの中にこんな一節があった。

「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」

 私に何ができるか分からない。私は無力かもしれない。それでも、私は常に弱き卵の側に立つ人間でありたい。山宣の墓に参ってその決意を新たにした。

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 宇治川の眺め。右岸の奥に見えるのが現在の「花やしき」。

[追記]
 実は私は宇治にある某私立高校に1年半ほど通っていた。今回宇治に行ったついでに宇治駅からのかつての通学路を13年ぶりに歩いてみた。私が通っていた高校は別の場所に移転して跡地は野球部のグラウンドになっていることは知っていたが、やはりあの校舎がなくなっているのを目の当たりにするのは寂しかった。通学路の風景も様変わりしていて、学校の近くにあった私が制服姿で酒やタバコを買っていたコンビニも姿を消していた。時の流れを感じた。毎日放課後の教室に残って夜遅くまで一緒に麻雀をやっていた友人たちは今どうしているんだろうか・・・。
posted by Tets at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 国内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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